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ウィーンの猫カフェから小さな寄付のお願い

  • 2024/03/01 09:02
  • カテゴリー:その他

ウィーンの猫カフェの女将・石光さんから小さな寄付の要請です。多くの人々に癒やしの空間を提供し続けたヨーロッパ初の猫カフェの危機です。

※google検索:ウィーン 猫カフェ
寄付ページ:https://www.betterplace.me/sechs-jungkatzen-die-zusammen-leben-wollen

以下、猫カフェの石光さんから:
長年お客様に愛された猫たちは老齢化のために引退、そのうちの2匹は今冬穏やかに息を引き取りました。カフェの引き継ぎ者を募りましたが世界的な不況の影響か新たに家賃を払う経営者が見つかりませんでした。

猫カフェでは昨年春に6匹の猫たちを施設から引き取りました。しかし、それぞれが異なる農場から持ち込まれた殺処分予定の猫たちで、警戒心が強く臆病だったことから、カフェでの公開を見送らざるを得ない状況でした。

6匹のの猫たちを引き取ってから半年以上が経過し、ようやく今冬から猫たちを不特定多数のお客様に安心して公開できるようになったところです。ですが、公開できない猫たちを抱えた猫カフェは売り上げ不足が続き、とうとう私の資金は底をつきました。

href="https://www.youtube.com/watch?v=BG-Qva0436w


再び十分なお客様が来てくださるようになるまで、これらの愛らしい猫たちが引き続き一緒に暮らせるように、どうか私たちに小さな支援の手を差し伸べてくださるようお願い致します。

私はカフェの運営資金さえ確保できればいいので、お金を儲けることには興味ないです。オーストリアで暮らすなら貧乏でも十分生きていけますから。実際今までそうでしたので。

このクラウドファンディングを選んだ理由は、設定費が無料だったからです。また、寄付された額面から差し引かれる手数料は2.7から3.5%、それに加えて寄付1回につき0.35ユーロのみ差し引かれ、ほとんどの額面が設定者(猫カフェ)に渡されるからです。

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以上、猫カフェの石光さんから。

下記Webサイトで振り込み手続きを進めると、お薦め寄付額30ユーロ、これに加えて5ユーロの手数料で35ユーロの請求額が表示されますが、この5ユーロの手数料は0ユーロに設定し直すことができます。もちろん最初に提示される30ユーロの寄付額も変更が可能です。

このクラウドファンディング拡散、オペラ座やシュテファン寺院界隈で猫カフェ利用、利用時のSNSN投稿もよろしくお願いいたします。

絵画保護、最新の分析技術で

  • 2024/02/12 18:17
  • カテゴリー:その他

https://wired.jp/2020/07/15/x-rays-reveal-the-key-to-preserving-edvard-munchs-the-scream/
キャンヴァスを将来にわたって保存するには、湿度管理の向上が重要であることがわかった。

「まずは美術館内の相対湿度を何とかしなければなりません。来館者を絵に近づけない、あるいは絵を来館者に近づけない、つまり来館者が作品を鑑賞することはできるが、絵の表面に直接息を吹きかけないようにしなければなりません」と、ヤンセンスは『ガーディアン』の取材に説明している。「人が呼吸すると湿気が発生し、塩化物も発散されます。鑑賞者たちの呼吸に近いところに絵を置いてはいけません」

ウィーンのフリーメイソン(自営石工)

正式には組織名をフリーメイソンリー、その会員をフリーメイソンと呼ぶそうです。

時はバロック時代、1717年ロドンで成立後、ウィーンは1742年マリア・テレジアと夫フランツ・シュテファンの時代からでした。

 

その始まりは、発掘調査で明らかになった大規模な火山噴火により、日本から散ってい行った先で開花したスメラミコト文化(スメル=シュメール)、またはメソポタミア文化と考えられます。つまり、古代エジプトのピラミッドや古代ギリシアのパルテノン神殿に代表される石工たちの仕事です。
隕石衝突や地球の火山活動という大規模な環境変化が恐竜たちを滅ぼしたことは今では周知のことです。
時代こそ違えど火山活動が世界最古の縄文文化にも大きな影響を与えたことは興味深いことです。この人知を超えた大災害は、古神道に見られるように、自然に対する敬畏という感覚で日本人のDNAに刻まれたのだろうと想像できます。
DNAが外的環境でで変化し、さらに生後の環境や経験や思いがDNAを変化させることが知られてます。しかも、その変化したDNAが遺伝することも判明してます。
現状では古代日本の石室構造や、山頂に運び上げられた巨石の文化、古代日本のペトログラフ(絵)またはペトログリフ(彫刻)、神代文字やカタカムナ文字、ヲシテ文字など明確性に欠けた話が飛び交ってますが、これからの数年間で整理が進むことが予想されます。それによって世界の古代史解明にも繋がってゆくのは間違いのないことだと思います。

 

さて、ほぼ全ての古代ローマの文化は古代ギリシア文化の模倣ですから、古代ギリシアから古代ローマへと移されたものが、中世の1千年間の空白期を経てルネサンスへと伝わったと考えられます。

もちろんルネサンスは宮廷文化の黎明期と考えられますから、続くバロック時代にそれが発酵して組織化されたと考えてます。

 

一応、確認しておきますが縄文文化は、だいたい1万5千年間ぐらい続いたことがわかってます。
西洋文化の始まりはメソポタミア文明ですが、イエスが生まれる頃まで3千5百年間程度の長さです。現代は紀元後2千年ですから、今から遡ること5千5百年、長く見ても6千年前の話です。
日本の縄文文明は2万年前の話です。関東以南の日本人の多くには1割程度しか縄文DNAが残ってないことがよく知られてますが、これは1万5千年から2万年も諍い無く人殺しの武器も不必要だった縄文人を、大陸から入ってきた弥生人が人殺しの武器で駆逐してしまったからでしょう。
そして、自分たちの正当性を主張するために、それまでの日本の首長たちを王ではなく神としてしまった。この渡来人達は好戦的な野心家だったわけですが、その頃の日本は互いに戦い合う乱世だったと魏志倭人伝に記されてますし、これについては記紀を注意深く読めば誰でも理解できることだろうと思います。
因みに大陸人が蔑んで「卑弥呼」と書いた「太陽の巫女」は必ずしも女性とは限らず、また役職名だったことから一人とは限らないことが最近わかってきました。都を表した「大和」も遷都され移動したことを思うと一ヶ所ではなかったと考えられます。
当たり前ですが、世界史の一部が日本史であり、日本史は世界史の一部でもあるわけです。

 

フリーメイソンという組織については、先ず、日本のウソつきテレビの情報を頭から一掃する必要があります。日本のテレビと新聞は世界的に見ても最も嘘が多いです。これについてはマスコミの嘘の割合が国ごとに示された研究が知られており、日本のマスコミのレベルは北朝鮮や中共中国以下です。

テレビによるお金のための嘘ではなく、ちゃんとした学術的な書籍が日本語でも多く出版されてますし、最近では本を買わずとも、ネット検索で様々なサイトがヒットします。もちろん玉石混交ですから、出元が御用学者かどうか、ポジショントーク如何についての判断が求められます。

ウィーンにおけるフリーメイソンの歴史その他については、市の行政サイトの歴史ページにも出ており、そこからリンクを辿ることもできます。ドイツ語や英語ですから読解が少し面倒ですが、今ではネット翻訳も可能ですから地道に読み解けば、日本の文献の種本に当たる原本に触れることができ、その方が確かな情報なのではないかと考えられます。

場所はモーツアルト最期の記念版の向かい側です。

ウィーンはバーベンベルク時代から直径1キロメートル程度の城壁に守られてました。1683年の第2次トルコ戦でトルコの脅威から開放されると市街地がその市壁の外に拡大してゆき、将軍オイゲン公の進言でマリア・テレジアの祖父レオポルド1世が2本目の城壁LinienWallを建造します。

それでも人口増加による旧市街地内の住居不足対策で旧市街地の中は一軒家が禁止されていたはずが、教会とご領主様の屋敷以外に、この建物も一軒家です。マリア・テレジアの旦那、皇帝フランツ・シュテファンが会員だったぐらいですから当然といえば当然なのでしょう。

3本の道に囲まれた三角形の一軒家、扉の模様、ドアノブ3点が表す星座、入り口上部に下げられた石、扉両脇のフサ飾り、左右の柱などが特徴です。

カフェ・モーツアルト

ウィーンのカフェ文化はユネスコの世界遺産です。

特に帝政時代からの伝統を守り続けるカフェは特別で、立地条件、入り口の位置と形状、店内の雰囲気とサービスをするウェイターやウェイトレスの出で立ちと客あしらい等など多くの約束ごとにより成り立ってます。これの詳細は別の機会に譲り、今回はカフェ・モーツアルトの話です。

参照 ⇒ ウィーンのカフェ紹介

オペラ座の裏、ホテル・ザッハーの脇に有名なカフェ・モーツアルトがあります。ウィーンで一番の社交の場とも言える王宮劇場の脇に店を構えるカフェ・ラントマン系列のカフェです。

モーツアルト像はそこから数百メートル離れた王宮庭園内です。この像は帝政末期の19世紀後半にウィーンで活躍した彫刻家ビクトール・ティルグナーの傑作です。観光名所として知られる王宮や美術史美術館に至近でリンク通りに面しているので、像の足元のト音記号の花模様とセットで、観光の写真ポイントとして知られてます。

19世紀後半のウィーンはGruenderzeitと言われる現在のウィーンという都市の基礎が確定した時代でした。

現在の国立オペラ座は19世紀後半に直径1キロ程度の城壁を取り壊したときにその界隈に建造された帝国歌劇場です。それまではその城壁の直ぐ内側にケルンテン門劇場がありました。

詳細は、今では絶版の1997年出版「ウィーン観光詳細ガイドブック」に記しておきました。この本は40年間のウィーン生活からの引き上げ時に破棄してしまったのですが、手元に残った本の草稿一部はWebに無料公開してあります。

さて、そのカフェモーツアルトの名前の由来になったオリジナルのモーツアルト像の写真が、数テラバイトのバックアップファイルから出てきました。元画像はいつしかWebから消えてしまったようですが、消滅時に備えて保存しておいたものです。

ドイツ語の文献にはモーツアルト像のカフェと出ていても、どの位置にどちら向きに像が立っていたかという疑問の答えにはなりませんでした。しかし、この戦前の写真にはオリジナルのモーツアルト像の背後にカフェ・モーツアルトが写ってます。戦前の貴重な記録写真です。戦前の映画「第三の男」を観ると、脚立の上で窓拭きをしているところがカフェ・モーツアルト入り口です。

画像クリックで拡大写真

ウィーンの何処かわかりますか?

すでにウィーンに行ったことのある方は観光で必ず行くところです。

何処の写真かわかりますか?

シェーンブルン宮殿の日本語ツアー集合場所

シェーンブルン宮殿の正門脇、キャッシャーホールから外に向かっての撮影です。

この場所はスマホ等で無料WIFIが繋がります。

写真の奥に明るい2つの出入り口が写ってます。このガラスドアはウィーンにしては珍しく自動ドアです。

階段を降りると50セント有料お手洗い、ガラス張りで構造丸見えのエレベターも見えます。

写真内左には売店が写ってます。絵葉書や日本語観光ガイドブック、飲み物もあります。

写真内中欧奥の二枚のガラス自動ドアの左にATMの箱も見えます。4桁数字のパスワードを覚えておけばクレジットカードでユーロ現金の引き出しが可能です。通常一日の引き出し上限金額は400ユーロです。

振り返るとチケット売り場の行列でごった返してます。

シェーンブルン宮殿のチケット売り場

なお、シェーンブルン日本語ツアーの集合所は、ここではなく、2本のオベリスク柱が立つ正門から宮殿敷地を出た観光バス駐車場内のシェーンブルン・グループ・センターです。ここの公認ガイド用チケットカウンターは空いていてチケットを直ぐに買うことができます。

 

お薦め【シェーンブルン宮殿の日本語ツアー詳細と申し込み】
https://ウィーン.com/wien-jp/schoen-b.php

 

シェーンブルン宮殿の日本語ツアー集合場所
(Group Center Scönbrunn の地図)

 シェーンブルン宮殿の日本語ツアー集合場所

シェーンブルン宮殿の日本語ツアー集合場所

小説か映画のような本当の話

今回は、ロックダウンで飲食業が強制閉店という中で「エサ代の確保」という難題に直面し、アイデアで生き残ったウィーンの猫カフェの話です。

2012年5月04日、ヨーロッパ初の「猫カフェ」オープン、店主は日本人女性

https://www.youtube.com/watch?v=6Aa34QMh1j8

 ウィーンのカフェー文化はユネスコの世界遺産に登録されている無形文化財です。是非ともウィーンで Wiener Kaffee/ヴィーナー・カフェー を巡り、世界に2つと無いカフェ文化の素晴らしさを楽しまれてください。


断続的にロックダウンが続く中で、ウィーンでも多くの会社が倒産や店仕舞いに追い込まれ、観光業界や飲食業界は瀕死状態です。

 

文化活動を大切にするウィーンでは、ロックダウン中でも入場者数を制限すればギャラリーなら営業できることを調べ、猫カフェを「猫ギャラリー」とすべく、底を打った資金の中で自ら筆を持ち、小物の製作から始めて、立派な絵画を描くようになったという、まるで小説か映画のような本当の話です。

入賞おめでとうございます。

https://youtu.be/2cts_fDPkNc?t=3083

人というのは耐えられないほどの悲しみと苦しみにさらされると喜怒哀楽を外に出さなくなることを知ってます。しかし悲しみを知らずして知ることの出来ない優しさや喜びの感情もあります。

飾りっ気とは無縁な猫カフェの素っ気ない女将を数十年間見続けて、愛にあふれる単純明快な生き様に共感を覚えてます。

2022年が少しでも良い年になり海外旅行が可能になったら、治安が良くて美しく楽しく興味深く、そして華やかなウィーン旅行が待ってます。ウィーンの猫カフェをよろしくお願い致します。m(__)m

皇后エリザベート(シシィ)

今回はお気に入りのワッペンの紹介です。よく見ると皇后エリザベートの頭文字「E」が浮き彫りになってます。そして、この向かい側には皇帝フランツ・ヨセフ「FJ1」のワッペンが掲げられており、左右セットです。

皇后エリザベート(シシィ)のワッペン

撮影は2017年5月07日、いつも通りスマホです。

このワッペンは、世界で一番美しい美術館として知られるウィーン美術史美術館に掲げられてます。

 

美術史美術館に入場すると大階段踊り場のテセウス像が目を引きます。これは、彫刻家としては古典派唯一の巨匠アントニオ・カノーバの代表作「ケンタウルスを倒すテセウス像」です。

殆どの来館者は吸い込まれるようにテセウス像に向かって階段を上がってゆきますが、この彫像に向かうときに左右の壁面を見ると大きなワッペンが見つかります。

下記画像の左右両端で確認できます。

このワッペンの彫刻家は世紀末にウィーンで活躍したルドルフ・ヴァイアです。

ヴァイアの作品はウィーン中至るとこrで観られ、ブラームスの像、オットー・ワーグナーの水門に添えられたライオン像、新王宮天辺で黄金色に輝く双頭の鷲、王宮玄関左右の彫刻群「海の力」「陸の力」、グリルパルツァー像、シュトック・イム・アイゼン広場の建物入り口扉レリーフ、ペーター教会外壁のカール大帝、市立公園角の画家ハンス・カノン像などです。

下記グリルパルツァー像は国民庭園です。

 

楽友協会の理事を務めていた音楽家ブラームスは、カール広場から楽友協会に向かって像が設置されてます。

 

世界史美女伝に名を連ねるエリザベートは、麗しの皇后、世界一美しい皇后などと言われ、日本語の本も多く出版されてきました。孤高の美女としての生き様も興味深く、映画や小説、ミュージカルでも知られてます。

ウィーンに来て皇后エリザベートを訪ねてゆくと、シシィ博物館、宮廷家具博物館、シェーンブルン宮殿、皇帝霊廟、エリザベート像などを観に行くのが一般的な観光でしょう。ときには市街地の喧騒から離れて、シシィの隠れ家として夫のフランツ・ヨセフ皇帝がプレゼントした「ウィーンの森」のお城まで足を伸ばすこともあります。 

ウィーンでの観光ガイドについてのお問い合わせや申し込みはメール送信フォームからどうぞ。

 

ウィーン中央駅

現在は、ウィーン発着の全ての国際列車がこの中央駅です。移動は地下鉄「U1」路面電車「D」「18」または快速列車(S-Bahn)です。

ウィーン中央駅

オーストリア共和国の公用語ドイツ語でWiener Haupt Bahnhof/ヴィーナー・ハウプト・バーンホフ。日本語では主要駅ではなく『ウィーン中央駅』と翻訳することにしたようです(何処の誰だぁ~)。これにより長年呼ばれ続けてきたこれまでの中央駅/Wien Mitteは「ミッテ駅」と呼ぶことになりそうです。間違えの無いように注意が必要です。

写真に写っている国際列車ホームは最上階のファーストフロアで、グランドフロアにはショッピングセンターやフードコート、ケーキ屋さんオバーラァ、パン屋さんがあり、地階のショッピングセンターに軽食喫茶、大きなスーパーマーケットがあります。さらに地下2階に下りるとマクドナルドから路面電車や地下鉄へのアクセスとなります。

この大きな駅には下階の快速列車ホームも含め沢山のホームがあり、約一千本の列車が毎日発着しているそうです。出入り口が路面電車や地下鉄なども含めて広範囲に点在しているので、初めての利用時にはロスタイムも計算に入れます。 

http://hauptbahnhofcity.wien/

 

移動の日本語斡旋は観光ガイドよりも料金が安くなりますから、問合せや申し込み時に「市内移動斡旋希望」と記入ください。

一次大戦前の国立歌劇場

  • 2021/09/15 23:10
  • カテゴリー:その他

この水彩画は20世紀初頭、第一次世界大戦直前のウィーン国立歌劇場です。どこにでも転がっているような、ありきたりの売り絵ですね。

作家は二次大戦の終了時、今から71年前に死んだヒットラーだそうです。1907年(18才)から1013年(24才)のウィーン時代か、その直後のミュンヘン時代に模写で稼いだ頃の作品とのことです。

 

ウィキペディア「アドルフ・ヒトラー」

絵葉書売りで生計を立てた時も既存作品の模写が多かったという。ミュンヘン時代の知人の証言では、ヒトラーは同地で生活した頃は名所の風景画を中心に売っていたが、本人は現地には行かず、記憶やほかの画家が描いた絵などを参考に描くという独特の手法をとっていた。

 

ヨーロッパの観光名所で見られる路上の水彩画売りは、ウィーンならシェーンブルン宮殿の正門、市立公園のヨハン・シュトラウス像、それから王宮界隈などで見られます。ウィーン観光で目にされた方も居るのではないかと思います。

その路上画家さん達も、時代の流れでしょうか、21世紀に入った頃から段々と減って行き、今では中国人が残るだけになりました。

値付けは絵のサイズにより千円から3千円程度ですから、観光客が気軽に手を出せる程度の値段です。

上の写真は、その謎の中国人(笑)路上画家さんからのいただき物です。

仕事ではなく自分の散歩で市立公園を横切ったときに、路上で絵を売る彼と立ち話したときに、「これあげるヨ!」と新聞紙に挟んで筒状に丸めて渡してくれた作品です。2019年の秋でした。

絵の部分は10センチぐらいの小品で、売値は千円ぐらいの安物です。色も乗せすぎですね。でも、数十年間お仕事の最中に路上で見続けた彼の思い出に、帰宅後マット付きの額縁に入れました。

このリトグラフまがいの水彩画は、値段から想像できるとは思いますが、19世紀後半に流行ったリトグラフの上に薄紙を置いて、透けて見える線をなぞって描き、それをコピーマシンで大量にコピーして、路上でポスターカラーを水に溶いて薄く色付けしたものです。

ヒットラーの時代にはコピーマシンが無かったので、一枚ずつ描くしかなかった時代でしたね。

ウィーン旧市街地の散策

この動画は、カメラを持って1時間半ウィーンの旧市街地内を歩くだけの動画です。余分な音楽やナレーションが入らないので、観光馬車の蹄の響きや観光客の喧騒が心地よいです。まるで、晴れた夏の日にウィーン旧市街地を散歩しているような雰囲気が楽しめます。

ウィーンを知っている人にはもちろんですが、お盆休みがステイ・ホームの方はYouTube動画で1時間半のウィーン旧市街地の散歩はいかがでしょうか。

動画撮影は路上の徒歩です。博物館や美術館は入り口を通過し、唯一の入場はシュテファン大聖堂です。

Vienna, Austria Walking Tour

オペラ座 ⇒ 王宮庭園 ⇒ アルベルティナ美術館 ⇒ カフェ・モーツアルト ⇒ 歩行者天国ケルントナー・ストリート ⇒ シュテファン大聖堂 ⇒ モーツアルト記念館 ⇒ 歩行者天国グラーベン⇒時計博物館 ⇒ アム・ホーフ広場 ⇒ 王宮御用達レストランのツム・シュヴァルツェン・カメル(黒ラクダ) ⇒ 歩行者天国コールマルクト ⇒ ミヒャエル広場 ⇒ スペイン式乗馬学校の厩宮 ⇒ ヨゼフ広場 ⇒ 王宮礼拝堂 ⇒ 王宮のシシィ博物館 ⇒ 王宮の英雄広場 ⇒ マリア・テレジア像 ⇒ ミュージアム・クォーター

 

ウィーン旧市街地の徒歩観光ページ

 

因みにYouTubeの宣伝カットは合法だという判決が確定してます。

宣伝カットはブラウザからアドオン(小さな拡張機能プログラム)の「uBlock Origin」を導入するだけです。

YouTubeの宣伝を非表示にする方法

これで動画の中断なく最後まで見ることができるようになります。

チチンプイプイ~♪  お試しあれ!

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