一次大戦前の国立歌劇場
- 2021/09/15 23:10
- カテゴリー:その他
この水彩画は20世紀初頭、第一次世界大戦直前のウィーン国立歌劇場です。どこにでも転がっているような、ありきたりの売り絵ですね。
作家は二次大戦の終了時、今から71年前に死んだヒットラーだそうです。1907年(18才)から1013年(24才)のウィーン時代か、その直後のミュンヘン時代に模写で稼いだ頃の作品とのことです。
絵葉書売りで生計を立てた時も既存作品の模写が多かったという。ミュンヘン時代の知人の証言では、ヒトラーは同地で生活した頃は名所の風景画を中心に売っていたが、本人は現地には行かず、記憶やほかの画家が描いた絵などを参考に描くという独特の手法をとっていた。
ヨーロッパの観光名所で見られる路上の水彩画売りは、ウィーンならシェーンブルン宮殿の正門、市立公園のヨハン・シュトラウス像、それから王宮界隈などで見られます。ウィーン観光で目にされた方も居るのではないかと思います。
その路上画家さん達も、時代の流れでしょうか、21世紀に入った頃から段々と減って行き、今では中国人が残るだけになりました。
値付けは絵のサイズにより千円から3千円程度ですから、観光客が気軽に手を出せる程度の値段です。
上の写真は、その謎の中国人(笑)路上画家さんからのいただき物です。
仕事ではなく自分の散歩で市立公園を横切ったときに、路上で絵を売る彼と立ち話したときに、「これあげるヨ!」と新聞紙に挟んで筒状に丸めて渡してくれた作品です。2019年の秋でした。
絵の部分は10センチぐらいの小品で、売値は千円ぐらいの安物です。色も乗せすぎですね。でも、数十年間お仕事の最中に路上で見続けた彼の思い出に、帰宅後マット付きの額縁に入れました。
このリトグラフまがいの水彩画は、値段から想像できるとは思いますが、19世紀後半に流行ったリトグラフの上に薄紙を置いて、透けて見える線をなぞって描き、それをコピーマシンで大量にコピーして、路上でポスターカラーを水に溶いて薄く色付けしたものです。
ヒットラーの時代にはコピーマシンが無かったので、一枚ずつ描くしかなかった時代でしたね。